煙突掃除は二階以上を終えた。
大鷲白山神社の由緒をお借りして読み始めた。
一番興味を引いたのは、合祀する以前の正ヶ洞の神社の所在地が字天王ではなく字下畑になっていること。さらに元「洞神社」であったと書いてある。
今まで天王神社だと思っていた。祭神はスサノオとなっている。
ちなみに、羽島の洞神社は主祭神オオナムチ、姫路の洞神社の主祭神はククリヒメとなっている。
いずれも白山と関係がある。スサノオが主祭神だとすると白山よりも祇園社の方との関係があることになり昔から不思議だった。
牛頭天王がスサノオに習合されたのは神社合祀令以後だと思われるけど、大鷲白山神社も明治41年に大鷲の4社が合祀されている。その時に祭神が統合されてしまった可能性がある。
ではなぜ「天王神社」になったのだろうか?
天王の淵との関連があるように思われる。
安永2年の大西家文書には牛頭天王社五尺四面板葺きと書いてある。
斧をもっているので牛頭天王は間違いないと思う。スサノオは明治からだと思う。
狛犬が面白い。右の白い像は光背があるので仏様。たぶん阿弥陀如来。でも服装が修験者っぽい。
右から、女神(神功皇后又はククリヒメ)
阿弥陀如来
十一面観音
如意輪観音又はアメノウズメ。これだけ石像。
下の男神は天神か
この仏様は薬壺を持っているので薬師如来。いや飾りがあるので菩薩。とするとお頭を見ると仏のようなので11面観音か。
長滝の文安2年記録に歩岐嶋社の勧請注文というのがあって、「祭神は伊弉諾伊弉冉、本地十一面観世音菩薩を申し請け小社を造営して氏神とす」と書いてある。
十一面観音がご神体ということもありうるということか。
これらの像はそもそもどこの神社のものだったのだろうか?
元の神社がわかっているのは、向鷲見の懸け仏だけ。
わからないことだらけ。
工事が終了する前に一応のめどはたてたい。
それにしてもこのかゆみはどこから起こるのだろうか。
自分自身を傷つけているのだけど、これも防衛なのだろうか。