「北海道開拓」と「大鷲白山神社の宝物館修理」

たかす町民センターで往明寺様から「北海道開拓」の話を聞いた。

北海道開拓・樺太開拓・海外移民・満蒙開拓・戦後開拓。
古来からの開墾も開拓の一つで、この列島の人々は開墾を重ねてきた。
高鷲から北海道に移住し開墾をしたという歴史の中に、幾多の人々の思いと政治と経済と文化と信仰と自然と教育の関係が幾重にも重なっていた。

開拓は自然破壊でもある。自然を思いのままに改良し人間が生きる糧にしようとする。
「カイト(カイツ)」という古来からの言葉も開墾と切り離せない。
高鷲から名寄に移住した人々がアイヌの人たちに助けられた話。名寄川のサケの捕り方を教えてもらって冬を越したという話は印象に残った。
大家族で土地のないところから移住し、真宗の信仰を持ち精神的に団結力が強い。まさに共同の生活をし、「毎月15日と28日にはお寺へお参りをして、住職と共にお勤めを行い、法話を聞き、その後で御斎を共にし励ましあっております。」と語っている。

「わしらはまあ集まると第一の話は開墾の進み具合じゃわのう。それで入植当時は余り大きな木ばかりじゃで邪魔になってもとても一人や二人では転がすことも出来んので大勢頼んで始末して開墾したわの。それでもだんだん年が経つに従って家族の多い少ないもあるし、土地条件も同じでないし、勿論各自の技能の差もあるし、このままでは「成功検査」に落伍者が出たら、岐阜団体の恥になるとの事で、お互い助け合い皆で押しかけて開墾を手伝ってやることで、本人も他の人よりも朝も早くから頑張るようなり、もしそれが独身者なれば娘のいる親達は初めの内は親娘で手伝いに行くが、そのうち娘だけ手伝いにやってござるがのう。そのころには畑が見違えるようになり、終いには手間返しだと、今度は娘の家に来て一生懸命手伝うようになると、わしら横で見ておっても嬉しいと、お役人様もわかるじゃろうのう。」

心に響く話で、私は大好き。

北海道開拓の歴史 (アイヌ語の地名)

明治以前の北海道 ―明治の礎・北海道開拓 ―水土の礎

途中から白山神社の宝物館の修理のためご神体を移動させているので、そのご神体の確認に行った。ほとんどが向鷲見の南宮社と白山社からのもの。
それを証明する文書も見つかった。
本殿にあるのは天王社のもので、十一面観音が金属製で打ち出してあるということが分かった。それぞれの名前を書いたが、ご一体だけ泰澄大師か神宮皇后かわからない。

明治の神社合祀令以前、それぞれの村々で祀られていた神仏を少しでも明らかにしたいと願っていたが、少しは明らかにできたと思う。残りは後の人々に任そうと思う。