「三選の文」と「三願転入」

法然上人の三選の文は法然上人ご自身の獲信の過程を示している。
人生における全てのことはこの道を指示していたと。
まさにご自身の身体で獲得された体験・経暦。

「それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。
浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。
正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。
正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と。

生きることとは選ぶこと。選ばれなかったことを閣(さしお)き、抛(なげう)ち、傍(かたわ)らにすること。

とすると親鸞聖人の信心獲得の過程は三願転入に他ならないと考えるのは極めて自然。
しかもそれは師である法然上人の上の過程をも含んだご自身の経暦となっている。

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡要をうて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。

こうやって比べてみると、それぞれの人生の体験(経暦)を示している。

梯和上の「法然上人の教え」。とても面白い。

 

 

 

 

仏恩とは何か