「鷲見氏・鷲見郷一覧」出版記念シンポジュウム

いよいよ今日だけど、雨が心配。
現在は降っていないけど午後3時ごろから強くなるとのこと。

今日図書館へ返す本の中に「武士の家計簿」がある。
このことを書いておく。
映画の中に孫が祖母から出された鶴亀算を独力で解く場面があったけど、どういうヒントで解いたのか気になって調べようと思って借りた。
所がそれは書いてなかった。
でも、意外なことがわかった。

著者の磯田道史氏は「なぜ士族は地主化しなかったのか」という問いを立てている。

武士は知行地があるけど完全な俸給制であってその土地が自分のものではなかった。
さらに維新でも明治10年ごろまで武士には政府から家禄という年金のようなものをもらっていた。でも、微々たるものでほとんどの士族は困窮した。

ところが、猪山家は陪臣でありながら出世している。
それどころか海軍の技官になっている。
これは身分制だけの武士の世界で珍しいことであった。
それが可能であったのはそろばんの技術(会計の技術=兵站事務)による。
(ちなみに筆算というのは筆と算(そろばん)で、書いて計算することではない。)

磯田さんは「算術からくずれた身分制度」と書き、それは世界的現象であったという。
ナポレオンは砲兵将校という技術がモノをいう部隊であり、だからこそ平民が多かった。そして、彼は平民に人気があり、革命で身分制度をぶち壊し、皇帝までもなれたという。フランスの数学はこのような理工科学校などでの弾道計算(=大砲)や測量技術(=地図)から発展している。

武士と百姓町民の間の中間身分の層の実務手腕(そろばんや帳簿付け)がどの時代にも必要だった。だから和算はとても実用的だった。実際に加賀の和算家は伊能忠敬から学び、詳しい測量をしている。近代官僚制は軍隊と行政から始まったけど、行政においては江戸時代から官僚制が進められていた。庄屋などの実務能力が無かったら藩は成立たなかったのである。庄屋など名字帯刀を許されていた人がいた。(士と農の間の階級)

フランスでは貴族が地主であることは覆らなかったけど、この列島では武士が地主化しなかったことは、米による俸給制のせいである。

「鷲見氏・鷲見郷一覧」の出版記念シンポジュウムが終了した。
大雨のため出席できない人もおられたが60名ほどの方が参加された。
長良川鉄道北濃迄来られて、そこからたかす町民センターまで歩いてこられた方もおられた。心から申し訳ないと思う。

会場から4名の方が質問や意見を述べられた。
いずれも大事なことを取り上げていただき、さらにテーマが深まったと感じた。
ありがとうございました。

市長さんもわざわざ参加してくださり、会場からご挨拶をいただいた。