梯実円師の「還相回向」

二時間半があっという間に過ぎる。
いろいろ考えなければならないことが出てくる大事なお話だと感じる。
いつものことだけど菩提心→大悲心=智慧心・方便心のところで涙が出てくる。

お釈迦様は35歳で悟りを開いて後、80歳まで苦しみ迷える衆生のために生きた。いや苦しみ迷える衆生がお釈迦様を生かさせていた。
私たちもお釈迦様のように生きていけるということを示している。

 

はじめに出てくる摩訶止観を再読(第一章 止観の大意)した。
まず四諦を四つに分別をしている。
消滅の四諦・無生の四諦・無量の四諦・無作の四諦
次に十種の発菩提心を上げ、先の四種の四諦と関連付けている。

「滅は真諦にあらず、滅によって真に会す」と。滅なお真にあらず、三諦はいずくんぞ是ならん。煩悩のなかに菩提なく、菩提のなかに煩悩なし、これを消滅の四諦を推して上は仏道を求め下は衆生を化するの発菩提心と名づく。
無生の四諦を推して発心するとは、法性は苦・集に異ならず、ただ苦・集に迷って法性を失うこと、水は結んで氷となるも別の氷なきがごとし。苦・集に苦・集なしと達すればすなわち法性に会す。苦・集なお是なり。いかにいわんや道・滅をや。経にいわく、「煩悩即ちこれ菩提なり、菩提即ちこれ煩悩なり」と。これを無生の四諦を推して上求下化する発菩提心と名づく。
無量を推すとは、それ法性は名づけて実相となす。・・・これを無量の四諦を推して上求下化する発菩提心と名づく。
無作を推すとは、それ法性と一切の法とニなく別なし。凡法なお是なり、いわんや二乗をや。凡法を離れてさらに実相を求むるは、ここの空を避けてかしこに空を求むるがごとし。凡法に即してこれ実相なり、凡を捨てて聖に向うべからず。経にいわく、「生死即ち涅槃なり」と。一色一香もみなこれ中道なり。これを無作の四諦を推して上求下化する発菩提心と名づく。