「これで死ぬんだ、南無阿弥陀仏」

車庫にたまっていた布団や絨毯をクリーンセンターへ運んだ。母はデー。

今日はプチ法話

7名の参加。
久しぶりの会で皆さん語ることが多くてつい長くなってしまった。
といっても、「私の物語」をどんどんしようという話だから当然だけど。

ひと月の経つのがだんだん早くなる。
今回は「輪廻転生物語」と「韋提希物語」のどちらをしましょうか?
と最初に尋ねたのに、どちらも話してしまった。

終わってからの話の中で、田畑正久師のことを紹介。

医療は良くなる病気の人を救う。
仏教は病気の人を丸ごと救う。

お釈迦様は一の矢は受けるけど二の矢は受けないといわれた。

仏教の救いは世間的な救い(経済的、社会的、医学的な)とは質が違う。
あるがままをあるがままに受け取り、与えられた状況を「これが私の引き受けるべき現実、南無阿弥陀仏」と仏へお任せして
今日、ここを精いっぱい生きくぬのです。

南無阿弥陀仏をいただくものは、
朝、目が覚めた時、
「今日のいのちをいただいた、南無阿弥陀仏
でスタートし、

夜、休む時、
「これで死ぬんだ、南無阿弥陀仏
と眠る。

安心(あんしん)は不安がないこと。
安心(あんじん)は不安があってもよいこと。

 こうなれたら良いなと思う。