念仏のお育て…岐阜空襲

昨日プチ法話があった。
参加者は2名。
主催者が1名で、残りのお一人がいろいろ質問をされたのがとても良かった。
その質問は、ご自身が普段どうなんだろうと思っていることだった。
 
まず私のテーマは「念仏のお育て」
以前、「念仏の使い方」と書いたが、それはあまりにも自力的なので、「念仏のお育て」とした。
図に書くと、
念仏→不審→凡夫の自覚→弥陀の救いの確信→念仏
となる。
 
これは、この回路をいつまでも回っていることではなく、スパイラルを描いて高まっていく学習運動だ。
歎異抄でいうと、
念仏をうれしいとは思わない→私も同じである→だからこそ弥陀の本願がある→救いの確信と念仏→
となる。
質問は、「私の念仏はどういう念仏なのか」という確かめ。
この方は、念仏が習慣になっている。
そして、その念仏は、感謝の念仏である。
それが念仏としてはどういう意味を持っているのかという質問だった。
 
そこで、どんな時に念仏が出るのかという事例を話した。
一つは、以前書いた「郡上おんな」のトリさんの「ただ念仏のみぞまことにて」の念仏。
二つ目は、岐阜空襲の時の念仏。
 
野田よしえさん当時11歳の語られた話である。
「私は、岐阜駅近くの福住町に住んでいて、空襲と同時に、父・母・弟・妹と一緒に逃げました。
家族がはぐれないようにと逃げたのですが、物凄い人ではぐれ、
「おとうちゃーん、おかあちゃーん」と大声で呼んでももういないんです。
仕方がない、えらいこっちゃと思いながら火の手と反対の西の方へ逃げました。
木之本小学校の近くまで来ると火の手が見えます。
今度は北の方へ逃げました。
そうやって逃げに逃げて、知らないお婆さんが「あんた、一人なの」
ってびっくりしたようにおっしゃって一緒に逃げてくれました。
お婆さんは、B29のゴォーという音や焼夷弾の落ちる音がするたびにしゃがみ込み、
耳を押さえて「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と称えられ、
私も真似て「なんまいだー、なんまいだー」と称えたらいくらか気持ちが落ち着いたような気がしました。」
…これは、11歳の少女の恐ろしくも貴重な念仏との出会い。
 
そして、三つ目は自分が助かるための念仏。
四つ目は悲しいときの念仏。
五つ目は、報謝の念仏。
それらの念仏のどれが良い念仏かではない。
自分自身の愚かさや怒りの心や貪りの心に気がついた時、光があたっていることに気がつく。
気がつくということがすでに仏に救われているということであること。
だから報謝の念仏となる。
その気づきは自分を責めるものではなく、自分を照らすものとなる。
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