シューベルトが生み出しえた音楽は決して聞けないけど

少し体調が良くなってきた。
昨夜は久しぶりに6時間半+2時間眠ることができた。

先日、数学者の小平邦彦さんが面白いことを言っているのをビデオで見た。
小平さんは日本人としてフィールズ賞を初めてとった方であり音楽にも造詣があった。

シューベルトは31才で亡くなった。彼が生きていたら創り出しただろう曲は、私たちには決して聞くことはできない。でも、私の発見は私でなくても誰かがする

これは当然のことのように思われる。
それは、「法則←→現象」から言える。
数学は現象→法則だから、やがて誰かが見出す。(抽象化)
音楽は法則→現象だから、極めて個別のこと。(具体化)
だからその人しかできないその人のもので、シューベルトしか作れない。

同じようなことを、益川敏英さんも言っていた。

純化されたものが理論の発見だから、論文を書く段になると、何であんなに苦労していたんだろうと馬鹿らしくなり、また駄作を書いてしまったと思ってしまう

益川さんのノーベル賞論文には比べるべくもないけど、先日書いたサイトの内容についても定理としてまとめるとどうも面白くない。
どうしてだろうと悩んでいたけど、こういうことなのだと分かった。

私の数学も単純化される必要はある。「なぜそうなるのか」を探っていくことは、法則を探ることであり、単純化することであり、普遍化することだ。

でも、私たちにの身近にある現象は具体的であり、個別的であり、個性的だ。それは多様であり、だからこそ面白い。生徒の発見した具体的な現象を追求する過程が面白かったのであり、その具体的で多様な現象が面白かったのだ。
だから定理としてまとめてしまうと、どうも面白くないと感じてしまうのだ。

どうやらこのことが一番言いたかったことのようだ。