数学はなぜ勉強するの?

チコちゃんが、「中学校で習う数学は人生で一度も使ったことがないのになぜ勉強するのか?」と質問した。

チコちゃんの答えは、「論理的な思考力を養う(身に着ける)」ため。

ちなみに算数は計算力を養うため。

西成教授が説明していたその理由はすべて「例え」だった。

分配法則や代入、方程式の論理、因数分解等は、すべて例えであった。
例えば、料理をするときにまとめて炒めるのは分配法則。
方程式は問題を式にすることで論理的な表現力を高める。
ちなみに昔、交換法則が特別であることを教えるのに、服を脱いで風呂に入るのと風呂に入ってから服を脱ぐのでは違うと例えたことを思い出す。
例えは理解に欠かせないのだ。

これらの「例え」が数学をなぜ勉強するかを説明している。
ちなみに因数分解については ⇒ 「因数分解」と「代入」 に書いておいた。

ということは論理力を養うためには譬喩力がないと身につかないということである。
つまり、数学は論理力よりも譬喩力(アナロジーする力)を学ぶためにある。
それは、数学が私たちの日常の自然な思考をモデルにしているから。
数学の抽象は私たちの日常の思考をまとめたものだからだ。

例というのは抽象の反対だから、抽象化したり具体化したり、つまり、往(い)ったり還(き)たりすることが最も大事なことだと思う。
式だってa(b+c)⇌ab+ac の双方向が必要なのだ。
仏教でいうと、色即是空と空即是色の両方が。


ちなみに、私は数学が最も苦手である。
計算力はない。推論や論理力はない。
記号がイメージできないし、新しい概念がわからない。
定理が理解できない、だから証明もわからない。
論理をコツコツ積み上げることが苦手で直感的。
でも、面白いからやっている。


今日、前の車のナンバーが7773だった。
時々やっている前二けた×後ろ二けたのかけ算をやってみた。
77×73=7×11×73=7×803=5621と暗算で計算できた。
直接計算しようとすると、一時記憶の容量が極めて小さいのでできないのだ。
計算力をつけようとドリルばかりになると、算数嫌いになる。


午前中病院で検査。
時間がかかると思っていたら、4つの検査があっという間に終わってしまった。
結果が出るまで時間がかかったけど、予定を一時間短縮できた。
腹のレントゲンを見たら、背骨が曲がっていることに驚いた。