もう四月

冬の跡片付けと春の準備で忙しい。
精神的にも混乱していて何をやっているのかわからなくなる。
外に出るときはマスクを外せない。

やらなければならないことが多いのに、処理能力が追い付かない。
隙間の穴をふさぐのに4時間もかかってしまった。
必要なものを買ってくる時間を入れるともっとかかっている。
ついでに図書館によって大和村史と白鳥町史をコピー。
元文の初しぼり購入。
注文していた本が届いた。
こういうことを忘れないように日記に書こうと思って後から筆を取るのだけど、
思い出せないので一つ事が終わるたびに書き留めている。

ここのところ家の中では資料の整理整頓をしているけど、どこにしまったのかわからなくなる。(捨てるのが一番良いとは思っているのだけど・・・)
整理をしていて気が付いたのは、今現に活動していることについては整理しやすいけど、そうでない資料は迷っていて行き場を失っている。

朝事では祈っている。
「戦争が止まりますように」
「子どもたちが幸せを見つけられますように」
この祈りの中身が変わっていく。
「本願」とは「本当に生きたいという願い」
「頼むからほんとうの人になってくれよ」と願われている。

高鷲文化財保護協会「鷲見氏に関連する視察研修」

参加者7名で、あちこちを回った。

高鷲庁舎→三輪神社→大智寺→北野城跡→鷲見神社⇢高富広厳寺⇢大桑城⇢芥見長山城跡⇢中津屋の鷲見氏の墓(五輪塔

千葉城や篠脇城にも登るつもりだったけど疲れ果てて止めた。

三輪神社では中濃用水の元を作ったのが鷲見保重(直重)でその用水と碑を見た。
大智寺ではその保重公の像を拝見し拝んだ。
鷲見神社と広厳寺は五十年前に父と訪れているが、当時は鷲見氏に関してあまり興味がなかったので槍や刀のことは覚えているけど、亡くなった住職から聞いたことはほとんど覚えていない。

ここまで来たのだから山形市の大桑城にも足を延ばそうと行ってみた。
岐阜市から大桑城に移ったのは、長良川の大洪水からだという。
そして、越前朝倉氏の一乗谷のような城下町があった。
ここで、現地でボランティアをしている方からいろいろな話を聞いたのが面白かった。
朝倉氏の影響がかなり大きい。

芥見の長山城がかなり大きいということと、どこに対する城だったということをもっと知りたいと思った。

www.city.yamagata.gifu.jp

kojodan.jp

news.yahoo.co.jp










 

高鷲古文書読ままい会

今日は高鷲の映画会と重なった。

郡上の4つの庄とその領主(本所)などを学んだ。
佐藤とき子先生から20年くらい前にいただいた資料を使った。
さらに白石博男先生の山田の庄の領主や荘官に関する研究論文を紹介。
これ自体、とても興味深い。

鷲見郷は山田庄に加わっていないようだが、承久3年に北条長時から認定された長龍寺の領地は一番大きかったのではないかということを聞いた。

この長瀧寺文書から天文9年の朝倉から攻めてきたことを表す文書の紹介。
文書としての記録はこれだけしかない。
さらに天文10年に再度来たということは書いてない。
9年の記録はかなり具体的なので確かだと思う。

その後、長善寺文書の建武の乱に関する部分を読んだ。
帰ってから、戦いをした場所と日時でどのような戦が行われたのかネットで調べてみた。すると、ちゃんとそれに相応する戦いがある。これには感心した。

 

市民自治の思考法

畑の山になっている雪を除雪機で均してから、除雪機のガソリンを抜いてかたずけた。
今日は終業式と離任式だと卒業した子たちが登校していた。
墓掃除に行ったら、ちゃんと花が立ててあった。
誰が立てたんだろう。ありがたいことだ。思わず手を合わせてしまった。

市民自治」について学びなおそうと思っている。
まずは放送大学から

〇第03回 市民自治の思考法Ⅰ
市民自治を考察に入れながら、学問と実践の関係性を考える。ウェーバーの学問論と政治論を題材に、学問と実践各々の独自性と、両者の関連性を同時に検討する。市民自治と学問との関係性を、知識と意志の双方の観点から考えたうえで、現代社会において専門知が果たす役割を考察し、市民自治における合意形成の重要性を理解する。
02 ラジオ > 01 OCW(全15回公開) > 001 市民自治の知識と実践(’21) 1140086p

v.ouj.ac.jp

 

温暖化対策協議会でも話したけど、
NPOで地域プラットフォームができないだろうかと思っている。
「プラットフォーム」というのは
何らかの事業や活動を展開するための共同の場や仕組み」のこと。
これをネットを使って構築したい。
そのためにはITに詳しい技術者・専門家が是非とも必要。

chiikijunkan.env.go.jp

藤田哲也博士の講演動画

寺の前に登校の子たちが集合している。
お母さんが写真を撮っていた。
今日は6年生最後の集団登校。
「卒業おめでとう」と声をかけた。
早いものだ。こうやって次から次へと卒業していく。
だけど彼女にとってはただ一度の出来事なのだ。

以前、渦巻きについて色々調べていた時、中村雄一郎氏の『かたちのオデッセイ』を読んでいたら、そこに藤原咲平氏の渦動論が載っていた。
そのつながりで藤田哲也氏のトルネードの研究にたどり着いた。
いずれも螺旋のつながりである。

この本には、

気象の低気圧や台風の渦巻きの成長曲線は、自分が計算してみたら動物や植物の成長曲線とおなじであることがわかった。種子(核となるもの)がなければ渦の成長が起き得ないことも、渦巻きが自動作用を持つことも、生物によく似ている。したがって、渦動は無生物現象と生物現象の中間に位置づけうるのである。」
以上のように藤原は書いている。

と書いてある。どうやって計算したのだろうか?
これは未だ調べていない。

www.data.jma.go.jp

 

 

プチ法話会

プチ法話会に8名の参加。
つみきのいえ」を朗読。
これが仏法とどうつながるのか?
内藤知康師がお亡くなりになられたことを初めて知った。

 

田んぼの雪はほとんど解けた。
裏の雪と畑の雪がまだ残っている。

 

第3回郡上市地球温暖化対策実行計画協議会

表題の会があった。時間は2時間。

最初の説明からつまずいてしまった私は、これからの進行についていけるのかどうか不安になる。
事務局の大変さと同時に、こういう会議の進め方の難しさを感じる。
全員の意見をまとめることの難しさといってもよい。
ワーキンググループでの話し合いの記録はできるけど、それをどのように計画や実行に生かすのか。
たった30名ほどの会議ですらこれなのだから、如何に私たちがこういう手続きのスキルを持っていないのかがわかる。

もちろんそのスキルを身に着けるために参加しているのだから、これも重要な学習になる。現在のところ、今後、事務局がどういう提案をしてくるのかに尽きるが、事務局の提案を待つだけではだめで、まだ方法があるのではないかという疑念は消えない。

といっても、今回のワーキンググループでの話し合いでいろいろ学ぶことがあった。
私たちのグループは「産業部門」で3つ程取り上げてみる。

一つは、事業所単体では温暖化対策を取り組む余裕はないけれど、郡上市建設業協会として取り組んでいるという事例を紹介され、それは大事なことだと感じた。
例えば、ISO14001の認証を取得したり、他の事業所でやっていて良いと思われるところを交流し取り入れるとか、職員の交流とか・・協会として取り組んでいる。
事務所の電気をLEDに変えただけでかなりの節電になったという。
そういう取り組みをしていることを「みえるか」できないかと感じた。

もう一つは、明宝ハムがすでにJクレジット(オフセット・クレジット(J-VER)制度)を導入していたということ。
20万円で高山の再生エネルギーを買い、森林・環境税でチラシを作製した。
そのチラシを見せていただいた。
明宝の自然を大切にしてきた私たちだから、環境が脅かされるのはとても悲しいことです。私たちができることは小さなことかもしれませんが、行動をおこすことが大事だと確信しています。明宝ハムは、カーボン・オフセットという形で環境活動に取り組んでいます。明宝ハム(クレジット付き商品)を食べることが、ぎふの森を育み、清流を守ります。

ただ、これはチラシの説明から始めなければならなくて、3年前にやめたという。
その止めた理由が大事なのだと感じた。
あまりにも時代の先を行き過ぎていたのではないかと感じる。
そして、このシステムがまだ知りわたっていなかった。⇒宣伝・教育の重要性
チラシのコピーをいただいたが、白黒なので載せることができないのが残念。

3つ目は県の方で進めている「EE電」の説明。
県が参加者を集めて再エネ電気をせり落とす制度。
担当の方から直接説明をしていただいた。
パンフレットだけではわからないけど、こうやって聞くとわかる。
ただし、これは締め切りが3月15日だった。

こういう具体的な取り組みをしているということが聞けたのはとても良かった。
ということは、こういう取り組みをもっとオープンにする。
市の広報やその他で。そのシステムを作るという課題が見つかる。
ただ、その前に温暖化対策の重要性をもっとアピールするにはどうしたらいいか?
やはり学校教育に頼る。(具体的なプログラムや実行主体)
さらに、子どもたちも参加できる対策を考えなければ行動に結びつかない。

明宝ハムの取り組みで参考になったのは、森林保全のことをちゃんと視野に入れていること。これは災害対策にもなる。
道路システムや送電システムなど、大きなシステムとしてとらえなおす必要がある。

そういうマクロな面と身近なミクロの面の組み合わせが大事なのだろう。
この会はどちらに視点を置くのだろうか?