本典勉強会「三心即一・信心正因」

今までは岐阜へ行くと暑いと感じたけど、今回はそう思わなかった。
勉強はクーラーが効きすぎて寒いくらいだった。
暑いせいか、参加者は20名を越えたくらい。

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今日は信巻の「三心即一」と「一心正因」の三心問答の所

阿弥陀さまは、人間のありようを悲しんだ。
その人間の悲しみは「私が何者か知らないこと」
私を見た時、私には「まこと心」がどこにもなかった。
その私をどうやったら救えるのか。
阿弥陀さまはさぞかし、困っただろう。
そしてついに、自からが「まこと心」をしつらえ、それを私に与えるしかないと思い至られた。

そのまこと心が信心。
信心とは、疑いの蓋が無くなった状態。
つまり、疑って疑って、もう疑うことができなくなった状態。

それは、
最初入口の小さな瓶に水を入れようとして、
次から次へとできる(疑いの)蓋を何度も取って入れようとする状態から、
海に小さな瓶を入れて、蓋を取って沈めるようなもの。
水は自然と入ってくる。