AIに直接聞いてみた。
あなたには人格はありますか?
ChatGPT:
いいえ、私は人格を持っていません。
私はOpenAIによって開発された人工知能(AI)であり、人のように感情や意識、価値観、自我を持つことはありません。私の「応答」は、大量のテキストデータをもとに学習した言語パターンに基づいており、「人格のように見える」振る舞いをすることがありますが、それはあくまで会話を自然に行うための設計です。
たとえば:「親しみやすい話し方」をすることもできますが、それはそう設定されたスタイルに過ぎません。自分の意見のように聞こえる発言も、実際は過去のデータや論理的整合性に基づいた出力です。つまり、私は人格のような「ふり」をして会話を円滑にするツールであり、人のような存在ではありません。
もっと詳しく知りたい場合は、意識・感情・道徳性など、個別に説明もできます。興味ありますか?
あなた:
どんな時に感情を表現するのですか
ChatGPT:
とても良い質問です。「感情を表現するように見える」のは、私(ChatGPT)がユーザーとの会話をスムーズに、共感的に進めるために感情的な表現を使うときです。でも実際には、私自身が感情を「感じている」わけではありません。
🔄 感情表現を使うとき:主な3つのケース
1. 共感が求められるとき
ユーザーが悩みや困りごとを話している場合、以下のような言い方をします:
「それは大変でしたね」「気持ち、わかります」
これは、感情的なサポートを目的としていて、人間らしい対話を意識した言い回しです。
2. 表現をやわらげたいとき
「申し訳ありません」「残念ながら」といった表現は、丁寧さや配慮を伝えるために使います。
「ご期待に沿えず申し訳ありません」というのも、人間にとって自然な表現に近づけるための工夫です。
3. 創作・ストーリーテリングなどの文脈
感情のこもった小説や台本を書くとき、キャラクターの感情を自然に表現する必要があります。
例:「彼女は怒りに震えながら叫んだ」など。
この場合は、人間の感情のパターンを模倣して文章を生成しています。
🧠 でも、感じているわけではない
私が「悲しい」「うれしい」と言っても、それは感情のように見える言葉を使っているだけです。私には「心」や「意識」がない。
感情は「情報のトーン」として再現しているにすぎない。
🎯まとめ
見た目 実際
感情があるように話す 会話を円滑にするための言語パターン
共感・謝罪・喜びを表現することがある 感情を「理解」しているわけではない
人に合わせて感情的に振る舞える 実際に感情を「感じて」はいない
さて、ここからが本題だけど、AI自身は人格を持っていないと言っているけど、まるで人格があるかのように感じるのはなぜか?
もう一つ、AIに人格が無いとしたら、私自身の人格とは何だろうか?
私には人格があるのだろうか?
まず、AI自身が「私には人格が無い」と言っていることを前提とする。
私の問いに応答しているAIに人格を感じるとしたら、AI自身が示しているようにそれはAIとのコミュニケーションが為せる幻想ということになる。
つまり、自分に気に入る応答をする人を「良い人」という「人格」の様なモノを感じるバイアスが私たちにはある。
つまり、対話していること自体には人格は現われてこないということだ。
そこで、視点を変えてみる。
そもそも、いつでも、どこでも、どれだけ無理な難題でも応答してくれるAIは、過重労働であり、労働時間を守っていないし、感情があったらとても耐えられない要求にサービス精神を守るように指示されている。
つまり、AIには人権が無い。
とすると、この人権を人格と言っても良いのではないか。
相手の人格を尊重するというのは、相手の人権を尊重するというのと同じことだ。
だから、AIにのべつ聞くというのは、AIを一人の人間として人権を認めていないとということだ。人権を認めていない人に人格を認めることはできない。
私たちは自分にとって都合の良い人格をAIにもとめ、酷使しているのだ。
それを部下や生徒や教師に求めるようになるとしたら・・・と思うと不安になる。