今回のテーマは「信心の社会性」
「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」をどう考えるのか
「信心は私一人のしのぎの問題」なのか
「凡夫の迷いの世界に執着することなく、これを厭うべきである。
浄土を軽んじることなく、これを願い求めるべきである。
という浄土と娑婆の問題」をどうとらえるのか
「触光柔軟の願」をよく見ると、この世界でも得ることができる。
「アマゾンのお坊さん便」について、
33願(触光柔軟の願)と34願(聞名得忍の願)が信巻(真仏弟子釈)に取り上げられている。
この二つを、なぜ取り上げたのか?
初めて気がついたのだが、この二つは我が国(浄土)ではない。
「十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類」が対象である。
この娑婆で得られる私たちの利益として取りあげられたのだろう。