「かろくなしすくなくなす、うすくなす」

明日は秋の永代経
老僧は今自坊にいない。
もっともここ数年は法要のお勤めもできなかったから順調といってもいい。
 
今日はドライブに連れ出した。
ドライブしながら移る景色を見てつぶやく。
 
「何もかも変わってしまった」
「家はあるけど人が住んどる家は少なくなった」
「この辺の寺はどうやって暮らしているんや。寺だけではやっていけん」
 
そんなことはないと言うと笑う。
思い込みというものは行動や思考まで影響を及ぼす。
でも、最後に「今日は楽しかった」と言った。
 
 
現世利益和讃の一句に次の左訓がある。
 
 一切の功徳にすぐれたる
  南無阿弥陀仏をとなうれば
  三世の重障みなながら
  かならず転じて軽微なり

[ 左訓 ] [重障:おもきつみなり] [ 軽微(キョウミ):かろくなし、少なくなす、うすくなす]
 
念仏を称えていると、様々な悩みや苦しみを、軽くなし、少なくなし、やがてよくなすと言われる。
その悩みや苦しみは、よくよく観察すれば、確かに何でもないことのように思われる。
しかし、その悩み苦しみはまた、私の悲しみでもある。
念仏を称えていると、その悲しみを軽くなし、少なくなし、薄くなす。