念仏の使い方

念仏の使い方がずっとわからなかった。
10年以上称えていてやっと使い方がわかりかけてきた。
一つの例として、古川のぶさんの「郡上おんな」に次のような場面がある。
 
主人公とりは、いろいろな場面で念仏する。
この場面は、越前穴馬郷で大火があり、姉を苦しめた家が焼けたという知らせを受けて
心の中で、思うところ。
 
『 <静子や守彦(姪と甥)は無事逃げたであろうか。おりの大事な姉さまに煮え湯を飲ませた因果応報よ>と思う心の下からとりは――煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのことみなもて、そらごとたわごと誠あることなきに、ただ念仏のみまことにておわします――と言われた、御開山さまの歎異抄の一節を思い浮かべ、「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と念仏するのであった。』
 
見事な念仏の使い方である。
因果応報よ(ザマヲミロ)と思った下から、そらごとたわごと誠あることなきに…と感じる。
それは己のあさましい姿を照らし出す。
そして、唯念仏のみぞ真にておわしますとなれば、
念仏するしかない。
そして、念仏はすべてを包んでくれる。
 
ちちははの愛深かりし田舎家を朝より念仏のこゑに満たして
喜びに悲しみに念仏したまへば 幼き耳もそをききれけぬ
わが父母はこの世に生まれ来りしは 真宗にあはんためと言わせし
                             中川幹子
喜びがわいて来たときに念仏。
逆に、念仏をしていると喜びがわいてくる。
でも、喜びがわいてこないと悲しんで念仏。
辛いとき悲しいときに念仏。
人間の悲しみを共に背負ってくれる念仏。
わけがわからない時に念仏。
どうしたらいいのかわからない時、念仏すると不思議に見えてくるものがある。
朝から呆けた母の念仏の声が聞こえる。
私も呆けても念仏できるようになりたい。
 
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いつも「おしょうさん」と呼んでくれる子は完全防寒備だった。