今年は最初から話し合い法座をすることにした。
最初うまくできるか心配したけど、4回目はスムーズにいって実に楽しい法座となった。
そのわけを探ってみたい。
◎連研の報告とまとめ
…話し合い法座の成果…
「話し合い法座は縁起の思想を実現した教化」
講師をしていて気がついたことがあります。
それは講師が一番学べるということです。
だって、調べてカリキュラムを作り、話す内容を編集し、
聞いてくれる人の表情を伺いながら語るからです。
語っているうちにそれが自分の物語になることを感じます。
つまり、「語る」ことがとても大切だということがわかります。
とすると、この「語る」ことの働きをもっと生かすことが必要です。
今までは、
〇 講師→参加者→うけとる
という図式で考えていました。
一方的ですし、どう受け取ったのかはわかりませんでした。
ここで、この「語る」ということの働きを考えてみると、
〇 私が→私を語る→私の物語を→あなたが聞く
となります。
もちろんそこには聞いてくれる人が居ることが前提です。
そして、この私はそのまま入れ子構造として次のように広がります。
語る(人生の物語)
→
〇 参加者 参加者
←
聞く(気づき)
まとめると、話し合い法座は次の因果(縁起)図で表されます。
[参加者←→参加者]には上の図が入ります。
(チームで)
〇 問題提起者 →[参加者 ←→ 参加者]→全体発表→まとめ
(予備知識) 話し合い 共同化
矛盾と課題 ①テーマの具体化
②語り合いによる気づき
③今までの体験
④私はこう考えていた。ところが…
最初は戸惑っていた話し合い法座が、だんだん物語になってきました。
自己紹介によってお互いのことが少しずつ分かってきたこと、
話し合うことになれてきたこと、
語ることがすっきりすることに気がついたこと、
真剣に聞き受け止めてくれる人がいること、
自分の人生を振り返れること、
そして話を聞いているうちに、「気づき」が多くなること、
いろいろな「他者」との出会いがあり、それは新しい自分自身との出会いとなること、
つまり、話し合い法座がどんどん発展しているのです。
5回目の法座の時、こんな感動的な場面に出会いました。
話し合い法座の時、89歳の方が参加され、こんなことを語られました。
『この歳になっても日々煩悩が絶えない。だからこそ阿弥陀様の救いがある。』
ということを熱く語られました。
現に今ここにお浄土をお念仏をご自身の目当てとして生きておられる方がいる。
今、得者(喜んでおられる方)に出会っている。
これは幾万遍の言を費やして説明するよりもはるかに大きな説得力を持ちます。
そして、ある方が、『母が米粒の中にも菩薩様がいるといつも話していたけど、
私はまた年寄りの迷信が始まったと思っていいかげんに聞いていた。』
と語られた時、89歳の方が、『このことを正直にそのまま語られたことが素晴らしいし、
意味がある。そして阿弥陀様はそのまま受けとめてくださる。』
私はそばで聞いていて心が揺り動かされるのを感じました。
ここには浄土が確実に働いていると。
上手く表現できませんが、ここに話し合い法座の働きがあるのだと思います。
後期の話し合い法座がどのような出会いを生み出すのか楽しみです