というか、書こうという気が無かった。
というか、書けなかった。
法話では、今まで書いてきたこと(=考えてきたこと)を吐き出していた。
吐き出していると、また新たなつながりが出てくる。
だから話は無限に続く。
息子にいつも言われる。
「親父の話は、同じことを繰り返しているんやな」と
全くその通りで、念仏一つである。
それを手を変え品を変えてしゃべっているだけである。
で、しゃべっていると何が良いのかというと
それまでの体験がだんだんはっきりしてくるところ。
いろいろなエピソードが指し示していることがだんだんと見えてくる。
もちろん、話す場によってそれは異なってくる。
このように変化すると、それぞれでの場の影響が大きいことに気がつく。
いや、むしろその場(つどい)がいろいろなことを指し示しているのだ。
今回、うれしかったことが一つある。
それは職場の中で辛いことがある若い人が、仕事の帰りに
「苦しいなと思ってすぐにお念仏を称えたら、何回か言っているうちに
スーとどこかに(苦しみが)消えて楽になり、あれ?すごいな!」
と感じたとメールをくれたこと。
お念仏の大切なはたらき