専奉斯行 唯崇斯信

名畑応順師の書を時々眺める。

何度も見ていると少しずつ中身が変化してくる。
応順師はどういうお気持ちでこれを書かれたのか、とか。

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以前はこの言葉のみだったが、
この言葉の前の言葉が大きくのしかかってくる。

穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、
  悪重く障多きもの、ことに如来釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝
  の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。

この前半部分はまさしく私のことである。
その私が唯一行える行、いや、行うのではない。その行につかえる。
そして、その信を尊ぶ。