香樹院(徳龍)語録より
徳龍師は越後の生まれで、お東の和上様(越後の人1772~1856)。
江州草津の木屋にて、女按摩、香樹院師を按摩しながら、念仏したるに、
「汝よく念仏せり」との仰せなりしかば、
按摩はじ入りて、「うその念仏ばかり申して居ります」と答う。
師の仰せに、「おれも、うその念仏ばかりして居る。
こちらはうそでも、弥陀のまことで御助けじゃぞや。」と。
女倒れて悲喜の涙に咽びぬ。
以前、これについて書いたのですが、「うその念仏 - 文ちゃんのブログ - Yahoo!ブログ」
清沢満之の縁起論を知って新たに思いついたことがありました。
この女性の按摩さんは、目が不自由だったのでしょう。
その為にどれだけの苦労をしてきたのか。
自身の身の境遇、そして、そこから来る苦労、親さんの苦しみ…
親を恨んだり、世間の冷たい仕打ちに涙したり。
なぜこのような目にあわなければならないのか、
何の因果で、この様な身体に生まれてきたのか。
そう思った時、「前世の業によって…」という考えに到達したのかもしれません。
それは、古臭い近代の因縁論の様に思えますが、
自分の境遇を全て我が身の業の故であると全責任を感じていることでもあります。
そして、縁起論からいえば当然の結論だと思うのです。
目が見えませんから本を読むこともできません。
だから、ただ耳でいわれを聞いて念仏を称えていたのでしょう。
でも、その念仏は本当の念仏ではないと思っていました。
日々、称える念仏は我が身のわが心のあさましさを照らし続けたからです。
そして、業の思想が身と心を責めていたのかもしれません。
でも、念仏を称えることはくせになっていました。
徳龍師にほめられて、「嘘の念仏です」と思わず言ったのは、
念仏すればするほど、己の姿を見つめ続けていたからです。
本当の念仏を称えるようになりたいと。
そして、徳龍師の言葉は、私もあなたと同じうその念仏だという言葉でした。
でも、こちらはウソでも弥陀の方はウソではないと。
彼女が倒れこんで泣きだした気持ちが伝わってきます。
それまで、この境遇は私の責任、そして、救われたいと思う念仏も嘘の念仏。
私は何のために生まれてきたのかと、何度思ったことでしょう。
しかし、弥陀の誓はまことであると。
必ずや救うと誓われた心はまことであると。
それは、私の全責任(苦しみ)を引き受けてくれる言葉だったのです。
彼女が倒れ込んで泣いた気持ちと同じように涙が出てきます。
私の全責任(=私の人生)を引き受けてくれる弥陀佛と初めて出遇った彼女の気持ち。
私を生み出した仏が、私の中に存在していると。
その時初めて自分自身の生を肯定することができたと思うのです。