プチ法話会 「私の世界と浄土」

私たちは同じ世界を見ていると思っているけど、一人一人の見ている世界は異なっているという話から始めた。

同じ人なのに、夫からは妻と呼ばれ息子からは母と呼ばれる。
同じトンネルなのに、窓を閉める人がいるし閉めない人がいる。
同じ太陽なのに、見る場所によってきれいと思ったり身を焼くと感じる。
同じ雨なのに、都合が悪いと感じたり慈雨と感じる。

このように実は一人一人見ている世界が異なっている。
同じなのに見え方が異なっているのではない。
私たちの世界は私が見ている世界であり、そこから出ることはできない。

だからここから大事なことが二つ生まれてくる。
一つは、
私一人の世界だからこそ、その世界を汚すのも清浄にするのも私次第だということ。
もう一つは、
それぞれが違う世界を持っているとしたら、どうやって共同したり協力することができるのかという問題。つまり他者との共同の問題。

この問題を乗り越えるために浄土が生まれた。
浄土は一人一人の持っている世界を全て合わせた世界であり、その世界は真実の世界である。これは仏だけが見える世界であるけれど、私たちもその世界を仏を通じて感じることができる。

だから浄土はあの世にあるのではない。
この世にもあるのではない。
なんせ境界があるわけではないので。