2時間40分の時間を感じさせなかった。
窪塚のキチジローがとてもよかった。
たぶん、キチジローに共感する人と、反発を感じる人がいると思う。
キチジローは私である。
これはイエスとユダの物語と言ってもいいだろう。
この「愛の神」はまさに「慈悲の仏」である。
寺で師であるフェレイラ神父と出会った時に、
バックで流れる称名は本願寺派の念仏だった。
イエズス会の天国への道はどういうものなのか
悔い改めることで天国への道が保証されているわけではない
が、「死んだら天国へ召されるのですね」という信者の問いに、
パードレたちが戸惑いながらうなずくのは共感できた
が、信者らの天国と浄土は全く同じである。
(つれあいが、あんなひどい目にあいながら、どうしてイエスを信じるのかと問う)
信者たちが苦しい生活の中で、イエスを信じることが天国へ行ける道である
と考えたのは必然だったと言える。
もっとも、貧しい人たちのために、病院や学校を作ることはイエズス会が当然のことのようにやってきた。
「告解」=懺悔も、
ハイリさんが演じた婦人とキチジローの懺悔でなるほどと体解できた。
もう一つ、つれあいが、どうして踏み絵をしないのかと不思議がっていた。
踏んでも、心の中で信じていれば良いのではないかというのである。
それは、教義の問題かもしれないが、
私には信念というよりはパワハラのように感じた。
キリスト教世界がすでに世界に広まっていることを示している。
しかし、
現地の人たちの世界観から学ぶということの「問い」は無かったように感じる。
そう言いう意味で、このイエスはあくまで父性の神だったように感じる。