昨日までの雪はあまり積もらなかったので、屋根の雪を降ろさなくてもよかったが、さっきからかなり降り出してきた。
さて、「沈黙」があまりに浄土教的だったので、類似点ばかり書いてきたが、
異なるところも上げてみようと思う。
一つは、
主は「神の国のために、世にあふれている悪と戦うように」呼びかけること。
悪と戦うイメージは真宗にはあまりない。
そもそも、すべてが凡夫だから、戦う相手は外部の悪というよりは
内部の煩悩である。
実はここからが本当の意味でのロドリゴの戦いなのだが。
人間は生まれながらに罪深い存在。
だからどんな善い行いをしようとも神の目から見ると不完全。
神一人が聖く、神一人が良いだけ。
だから神は罪深い私たちのために、神の国への道を用意してくれた。
その道とは、十字架の道であり、貧しいキリストと共に貧しくなり、
世に見捨てられたキリストと共にさげすまれる道
ロドリゴは真にその道を歩んだのだ。
そして、キチジローは、そういうロドリゴと一緒に生きている。
弱い、煩悩を持った私たちだからこそ、仏は救おうと誓いを建てた。
弱さを自覚するたびに、救いの中にいることに気がつく。
それは、弱い自分を責めることではない。
弱さの中から、生きる希望を見出してゆくことだ。
そして、より広い学びの世界へと心を開いてゆくことだ。
こうやって見ると、やはり違いよりも行きつく先の類似性の方が多いことに気がつく。
