母の往生

娘が二晩泊ってくれて、いつも呼びかけてくれた。

母はもともと頑張り屋だった。
仕事も外の仕事も、雪かきも、
意識が無くなってから三日間よく頑張った。
頑張れ→よく頑張ったね→もう頑張らなくてもいいよ→ありがとう
娘の声掛けがだんだんと変わっていった。
母とは72年間の付き合いだった。
着物の仕立てを懸命にして育ててくれた。
この肺でよくぞ持ったものだと思う。

入院しても新聞を隅から隅まで読む。
だんだん意欲がなくなるが本願寺新報だけは楽しみにしていた。
化粧は必ず自分でした。
手が動かなくなるまで。
早く死にたい、苦しい、えらいという言葉を聞くのが辛かった。

「おじいさんに会えてうれしかった」と言っていた。
そういえば父は出てこんといつも嘆いていた。
最後に「だぶ」と言っているように聞こえた。

いつの間にやら孫が書いてくれていた。