「明日死ぬと思って生きる」とは?

昨日プチ法話会。新しい方1名と合わせて7名の方の参加。
その方が「心が温かくなるような話を聞きに来た」と言われたけど、死の話だからむしろ焼けるような話になってしまうと思った。

夜一緒に飲んだ方がその晩亡くなった。
その夜のテーマは「明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」だった。
「永遠に生きると思って学ぶ」ことは具体的に行動化できる。
でも、「明日死ぬと思って生きよ」ということはできない、とその時感じた。
私にとって死は、未来(未だ来たらず)であり、将来(将に来るべし)と考えることはできないのではないか。
これがずっと課題として残っていた。

一昨日見たハイデガーの話の中で、「先送りしている自分の死に対して、その死をも含んだ全体の生を生きる」ことの例として「旅」の譬えを聞いた。

旅が心に残るのは始まりと終わりがあるからだ。
明日遠足だという前の晩のワクワク感を思い出す。
旅先に住んでいる人にとっては当たり前な日常の景色にカメラを向ける。
出会いも新鮮なこととして心に残る。
なぜそう感じるのか。
それはやがてこの旅が終わることを知っているからだ。
終わりがやってくるからこそ旅の中の経験が新鮮で、
一回限りのことであることを強く意識する。

人生も終わりがある。だとしたら旅と同じではないか。
そして、平凡な日常も、そこで起きる出来事も一回限りの経験ではないか。
この一回性において、(旅と同じように)出来事はそれぞれ輝きだす。

明日死ぬと思って生きるということは、この「いとおしい日常」を生きること。
これならできそうだと感じる。

後半は妙好人源佐さんの話をした。
終わってから下の話を読んでいたら涙があふれた。
「おがだい」は鳥取の方言で「大事なこと」
「ようこそ」は「ありがたい」
「いっかな」は「まったく」
「ねきから」は「そばから」
「ごせ」は「~してくれ」

「源左と直次」
源左の友達であった山名直次が床に就いた。
娘のこの「お爺さん、ちったあ念仏となえなはれのう。」
直次「おらあ腹にいらんだいやあ。」
この「お爺さん、聞きたけらや、そこに岡本さんがあっだけ、呼んで御縁に会わしてもらはあ、おがだいなあ。」
直次「うんにゃ、おら岡本さんに聞きゃあでもええいや。源左の方がええいや。」
この「お爺さん、一つ親の話だし、源左さんも岡本さんも、おなじこったあないかいなあ。」
直次「われがそがに聞かしたけらや、源左を呼んで来てごせいや。」
そう云われて娘このは、源左の所に来てみると、源左も大分前から寝ておるとのこと。病床へ来て見舞いを云い、こう伝言した、「直次爺さんも寝とっなはって、お前さんに会いたいちゅうで、来てみただけど。」
源左「おらも、えらあて、よう行かしてもらはんだがのう。会いたいだけど何の用だらあかいのう。」
この「寝とってみらや、後生が気にかかるらしいだいのう。」
源左「気にかかるだって。」
この「あのやいなあ、お爺さんは寝とったって、ちょっとも念仏が出んだけ、念仏となえさして貰らやあ、気がにぎやこうて、ええだけどって云うだけど、ねきからお爺さんにゃ、念仏が出んだいのう。」
源左「よしよし念仏は称えんでもええけんのう。助かるにきめて貰っとるだけ、念仏はいっかな後生のたりにゃならんだけのう。」
このはそのまま直次爺さんに伝えた。直次は「はあ」と云ったぎりだったが、それから二、三日して、直次が「出てごせ」というので行ってみると、
直次「源左は、そがなことを云ったって、おらあ、いっかなわけが分らんだいや。」
この「なして分からんだいなあ。」
直次「わっちゃ、念仏となえとなえちゅし、源左は称えでもええちゅし、わりゃ助かるにきめて貰っとるだけ心配せえでもええちったって、おらあ分らんだいやあ。源左はどがあしとるか行って見て来てごせえや。おらあ、いっかな喜ばれんだが、源左に、喜べるか喜べんか、源左の喜びを聞いてごせえや。」
ここで又このが使いに出た。
源左「源左はえらあて寝とるちってごせ。」
この「寝とるって、どがなだいなあ。」
源左「源左もいっかな喜ばれんちってごせ。直次爺さんはどがあないのう。お爺さんは何だっていやえ。」
この「お爺さんは、どっかにも喜びが出んだっていなあ。」
源左「源左も病いの方がえらいだけ、喜びが出んだがのう。」
ここでこのはそのままを又直次に伝えた。直次「ふん」と云って思案顔であった。それから又幾日が過ぎて又このに「出てごせ」と云って来たので行ってみると、
直次「われがせんと聞いて戻ってごしたけど、おらあ源左の云うことが、いっかなわけが分らんだいや。この年になってなりが悪いだけど、世話せにゃならんけお寺にゃ参っても、人並に参っとって、いっかなおらが事だと聞いとらんだけ、分らんだいや。」
この「なして分らんだいのう。」
直次「源左は助かるにきめて貰っとるちったって、そがに親心ちゅうむんが、はや分るかいや。」
この「なんで分らんだいのう、お爺さん、分る分らんは、こっちが知ったことじゃないだけ。親さんが助けるって云われるだけ、真受けさして貰うだがのう。わが力じゃ参れる身にはなれんだけ。」
直次「なら、源左はえらあても、なんまんだなんまんだ喜こんでおったが。まあ一辺行って見て来てごせえや。」
ここで又このは使いに出た。
源左「今更くわしいこたあ知らんでもええだ。この源左がしゃべらいでも、親さんはお前さんを助けにかかっておられるだけ、断りがたたん事にして貰っとるだけのう。このまま死んで行きさえすりゃ親の所だけんのう。こっちゃ持ち前の通り、死んで行きさえすりゃええだいのう。源左もその通りだって云ってごしなはれよ。」
このは之を又直次に伝えた。
直次「源左は又そが云ったかえ。」
それから幾日が過ぎて、又直次から「出て来てごせ。」と云われ、このが出かけて行くと、直次は頭をかかえて、「おらあ、よんべ、ぽっちりぽっちり思うや。源左は念仏となえでもええちったけど、聞かして貰ってみりゃ、称えさして貰わにゃ気が済まんがやあ。称えりゃ邪魔になっだろうかい。源左に、ちっくり聞いてみて来てごせや。」
このは爺さんにも念仏の気が出て来たわいと思って、又源左の所に使いに行った。
源左「よしよし、出る念仏は抑えでもよし、無理に出ん念仏を引張り出しゃあでもよし、称えてもよし称えでもよし。邪魔にならんでのう。何んにもこっちにゃいらんだけのう。ようこそようこそ、なんまんだぶなんまんだぶ。」
直次はそれからは、「なんてなんてようこそようこ」と喜んだ。昭和五年二月二十日朝一時頃源左はこの世を去った。直次は源左の往生を囲炉裡端で聞いて「源左にぬけられたわい」と云った。翌二十一日の暮方五時頃に直次も往生を遂げた。