ご弔問お礼

ご弔問お礼

 遺族・親族を代表致しまして、ひとことご挨拶を述べさせて戴きます。只今お寺様には、御丁寧なお勤めを賜り、誠にありがとうございました。お礼申し上げます。皆様方には、何かとご多忙の中 御参列いただき、過分なるご厚志を賜り、厚くお礼申し上げます。

 故人清香は、大洞の斎藤多七郎とくのの長女として生まれ、長善寺に嫁いでまいりました。二男一女の子どもを育てあげ、坊守として長善寺を守ってきました。

 ここ数年咳が出るようになり、診察の結果、間質性肺炎とわかりました。昨年の5月に入院をしてから酸素吸入を開始して外出等ができなくなり、外で好きな花の世話をすることができなくなりました。だんだん機械の酸素濃度を上げざるをえなくなってきて今年の5月に入院し、一時退院しましたが、食事がとれなくなり、身体の方も弱ってきて、10月4日午後9時48分息を引き取り、お浄土に往生させていただきました。

 母は頑張り屋でした。針仕事も外の畑や花の世話も、雪かきも。「えらいで早く迎えに来て欲しい」と言いながら。また意識が無くなってから三日間よく頑張りました。妹と娘が二晩泊ってくれて、いつも呼びかけてくれましたが、「頑張れ」→「よく頑張ったね」→「もう頑張らなくてもいいよ」→「ありがとう」と娘の声掛けがだんだんと変わっていきました。

 思い起こせば母とは72年間の付き合いでした。着物の仕立てを懸命にして育ててくれました。この肺でよくぞ持ったものだと思います。入院中も新聞を楽しみにしていて、隅から隅まで読んでいました。ぼけたくないと日記を手帳につけていました。また、看護師さんが、「毎朝化粧を自分でします」と感心していました。子どもに迷惑をかけたくないという一念で、「早く死にたい、苦しい、えらい」と言っていましたが、「そうか、えらいか」と繰り返すしかありませんでした。

 一週間ほど前に、「大洞のおじいさんに会えてうれしかった」と言っていました。「お父ちゃんには会えたか」と言うと、返事がありませんでしたが、今やっと会えました。私が「なまんだぶ」というと、「だぶ」と言っていました。

 故人生前中には組の皆様や檀家の皆様、多くの方に一方ならぬご厚情を賜り、ありがとうございました。残りました遺族・親族にも、個人同様、変わりませぬご厚情を賜りますよう、よろしくお願いいたします。

 簡単で意を尽くしませんが、お礼の御挨拶に代えさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。

 

 点滴を 打ちつ飲みたい ゆーぐると 飲み込むのどの ありがたきかな