4年に亘った18期の連研が昨日終了した。
最後のテーマは「自他ともに心豊かに生きることとはどのようなことでしょうか」
問題提起として「私たちは不安の中に生きているからどんな不安があるのか語り合ってみましょう」と投げかけた。その不安をどうやって安心に変えているかということを含んでいると思ったからだ。
グループは二つ。皆さんから出た不安は、ご自身の病気のこと、再発の不安。身体の不安、できなくなることが増えてくる。家族の介護のこと、認知が進みこれから先が不安。友人が亡くなり、頼母子もだんだん少なくなってきた、自分も…と思うと不安になってくる。子どもの将来の不安。・・・
その中で、不安だとは感じないという方がいた。
身体が不自由になっていく、聞こえなくなってくるのは聞くなということ。だから自分のできる好きなことをやっている。何か月もかけて荒れていた田んぼを刈り、花木を植えた。そして小さな小屋を作って焚火をしてコーヒーを飲むのが楽しい。足が悪くなっても這ってでも行くつもり、奥の方だからクマが来るかもしれん、それでも良いと覚悟して通っている。佐渡へ自転車で行ってきた。困難を乗り越えるから心に残る。それを聞いてびっくり。
グループの発表の後、僧侶二人(老若のコンビ)でパネルディスカッションをした。と言っても掛け合いの漫才みたいなもの。
やっていてのってしまった。「事故に合うのが当たり前」と思って車やヒコーキに乗るという方に振ったり、僧侶はそもそも不安を持っていないのかと問いかけたり。
未来を考えるから不安を感じるけど、そういう状況の中で私たちは、今・ここで・この自分が生きている。そのことが奇跡的なことではないかと語ったのは若い僧侶。
うまくまとめられなかったけど、不安があるのが私たちの日常であり、不安から逃れられないのが私たち。
不安を感じながら、悩みながら、迷いながら生きているのが私たち。
だけど一言では言えないけど、安心して不安を感じあれこれ悩むことができる。
それはどうしてだろうかと。