昨日はプチ法話会と頼母子があった。
法話会は水曜日だったけど金曜日に変えていただいた。
水曜日に来られた方もいた。
申し訳ないと思う。
感話の中で、「知らずに犯した罪と知っていて犯した罪とどちらが重いか」
という話が出た。
世間ではよく知らなかったんだからと許されることもあるけど、知らないことが犯した罪に加わりより重くなると言われた。
交通違反の事例で言われたから実際の法令でも採用されているのだろう。
知っていて犯した場合は、ちゃんと自覚があるだけ罪を感じているという。
なるほどその通りだなと感じる。
私たちの愚かさを知ることが仏法の第一歩であるという話から思いついたという。
そもそもほとんどの宗教が「自身の愚かさを知ること」を前提にしている。
ましてや予想できないとか予想できなかったというのは、さらに罪を重ねている。
予想できないようなことは、その結果が重大であるとしたら行うべきではない。
罪に罪を重ねることになるからだ。
「私は愚かである」ということの自覚が最も難しいことなのかもしれない。