「人間生活と数学」という単元

昨日はいろいろ高校の実情を教えてもらった。

北海道の高校の生徒数が減少してきていて、小規模校になってきている。
教員も全教科揃えられないので廃校の危機に瀕している。
それを防ぐため、「遠隔地教育配信センター」を作った。T-baseトップオンラインで小規模校の授業を行う。毎年希望校が増えてきて、来年度は何と30校の申し込みがあったという。
この配信センターは全てオンラインで行うため、その設備も整っており、教員の講習会も行っている。
北海道は「一間口校」が3割だという。この言葉は初めて聞いた。
センターの活動をいろいろ質問してみると、小規模校同士の生徒を結びつけたり、当該校の職員とのコミュニケーションも欠かせないという。
直接の生徒指導ができないことが困っていると言われていた。
センターが様々なコミュニケーションのつなぎ役になり、新たなコミュニティができれば良いなと思った。

「教育の情報化」の説明の所で、『教員も生徒たちも「コスパを求める」ようになる』と説明したらちょっと盛り上がった。刺激的だったらしい。
少ない投資で最大の効果を上げる」ということを知らず知らずのうちに教員も生徒も自分自身の身体と心に取り込んでしまい、それに支配されてしまうのではないかという問題提起だ。(この投資の代わりに学習時間を代入してみよう。)

例えば、「数学者の話を3分でする」という実践があったので、「これを書くためにどれくらい時間をかけていますか?」と質問した。本を何冊も読み、それをまとめるという作業がある。これをコスパで見るとできるだけ少ない努力で最大の効果を上げるために時間はできるだけ少ない方が良いとなるけど、私はそれだけかけるからこそ3分でわかるものが書けると言いたかったのだ。

これは評価の問題とも関連してくる。「評価の観点」は教師も生徒も知らず知らずのうちに忍び寄り支配する。これをどう転換するかという「形成的評価」の実践報告があり、楽しく聞けた。評価を変えるだけで授業や生徒たちのコミュニケーションも大きく変わってくるという報告だった。

高校数学には「人間生活と数学」という単元があるという。
これには違和感を感じてしまった。
「数学と人間生活は繋がっているよ」ということを示したいらしいのだが、それは「今まで学んできた数学」が「人間生活」と関係ないように見えるということを示している。だから改めて関連しているよと示すのだ。
ということは、普段の数学は(大学入試のための)(評価のための)「道具」「知識」に過ぎないということを示している。
そして、この単元は「数学という道具を人間生活に応用する」という一方通行なのだ。これは「数学の人間化」とは異なる。なぜなら「数学の人間化」は往還ある活動だから。応用だけでは応用できない