愚禿と名告った仏者ー親鸞の生涯

表題の講演会が、たかす町民センターであった。

参加者は50名ほど。
途中で涙が出た。
人生は値遇(出合い)である。
そして最も大事な出合いは仏との出会いである。
なまんだぶと呼びかけなまんだぶと応える。

アンベードカル博士の事
(そういえば尾畑師は中日新聞にアンベードカル博士について書かれていた)
インドの憲法は徹底的な平等主義
日本の憲法は徹底的な平和主義
「世の中安穏なれ」  自己中心的な安穏を乗り越える安穏
「仏法広まれ」    自分が安穏であればと願うのが私たち

かって正信偈を唱えることが門徒の勤めであった。
つまり、
念仏からくらしが始まる
念仏によって人となっていく
だから念仏が世界に広まりますように

最後の質問が素晴らしかった。
今、南無阿弥陀仏が少なくなった。それはあまりにも世間に情報が多くなったからかもしれない。仏法を伝えることが難しくなってきている。どうしたら良いのでしょうか?
講師の答えは
私たちに存在のつながりが失われているのかもしれない。
だからこそ自分自身が念仏を唱えること

存在のつながりを、
いのちのたせつさを、
本当のくらしを、
本物の人となるために