プロジェクションという心の働き

ここの所、毎日プロジェクションについて考えている。
この概念がひきつける理由は
①〔(情報)入力 ⇨ 脳 ⇨ 出力(行動)〕という単純なBBモデルに変わるもの
オートポイエーシスのフィードバックよりもイメージしやすい
③私の「学び」をより表現している(表現する=投射の作用)
④今まで使ってきた矢印は投射(プロジェクション)であった
⑤シュミレーションの意味がつかめる
⑥応用が広いのではないか

  表象〔内的モデル〕  ⇦  ソース  ソースとターゲットは同じとは限らない
   〔近接項〕     ⇨  ターゲット〔遠隔項〕
         ⇆ ゆする(内的モデルを喚起する)

⑤のシュミレーションの意味がつかめることに関して、重ね描きの例を取り上げる。
この図はあまりにも有名なので作ろうとは思っていなかったけど、重ね書きによって新しい意味が加わることを表現したもので、ソースとターゲットが異なることや、⇨(プロジェクション)の例として適当だと感じたので作成してみた。

 

これを単純な錯視としてとらえるのではなく、二つの図が合わさって新しい意味を生み出しているととらえる。つまり、こうやって対象(ターゲット)となるものへ意味が投射されると同時に表現されて今度はソースとなって内部へ再入力される。そして、投射されたシュミレーションであるからこそ脳の内部の表象(イメージ)へも重ね描きされている。

この論文はとても読みごたえがある。
今まで興味関心を持ってきたものがほとんど入っていると感じる。

プロジェクション科学の目指すもの

著者の鈴木宏昭氏が亡くなっていたことを知った。
この論文によると神を信じることもフェチの一種ではないかと書いてある。

ソースを教材ととらえると⑥(教育への応用)が可能となる。
このGeoGebraのシートも教材だとすると、それをどのように内的モデルと結びつけ、さらにプロジェクションできるようにするにはどうしたら良いのか、という視点が見つかる。私の今まで言ってきたことは、「プロジェクションを容易にするための媒介としてGeoGebraを用いる」ということだとわかる。

教材を示しただけでは、ソースとして子どもたちの内部に入力されるだけ。
それが子どもの内部モデルによって形象を生み出して、それがその教材に投射(プロジェクション)されて初めて学びが始まるということだ。

論文を読んでいて一つだけ疑問が出てきた。
知覚は脳内にその像をつくらないということである。情報処理システム・脳が作りだすのはフィルタなのであり、知覚像、あるいは実在のコピーのようなものではないか」確かに見たものは脳内に像を作っていない。だからこそプロジェクションされたイメージは外部のものに投射されたものだと感じる。でも、夢は外部にではなく内部に投射されたイメージではないか?そして、イメージを脳内に浮かべることもある。こういうイメージは単なる実在のコピーなのだろうか。

見る夢を調べてみた。
どうやら実際に見た景色とは異なっている。夢は脳の中で新たに構成されているのだ。