プロジェクションを私の世界に位置づける

「プロジェクション」とは何か簡単に言うと、
あるモノをみることは、そのモノから出る情報を入力するだけでなく、その意味を探って得た形象を再びそのモノに投射し、そのモノを新たなモノに変化させることである。
もちろんこのプロジェクションは繰り返される。
モノが変化しているということは、それを見ている人自身の内的モデルも同時に変化している。これが「学び」なのだ。

真ん中の図が今までのイメージ。
新たな内的モデルとして上の図のイメージ。

川を見ているとその水の中に入っているような感覚を感じる。
バローにくる人たちの車の運転の何と上手なことか。
そしてその人たちのプロファイリングが自ずと出てくる。
あの人は足が痛いんだなとか、買ったものは・・・とか、
これをプロジェクションとして見ると、内と外が一体になったような感じがする。
アフォーダンスの時は、その人の身体が語っているように感じたけど、今度は自分自身の経験が投射されていることを感じる。

ところで、こんなことが行われていることを知ってほしい。
驚くべきことに「教育を一方的な入力だ」と捉えている人たちがいるのだ。

校長権限を強化するために創造的な教育実践を犠牲にしていいのか、奈良教育大附属小の件は教育全体の問題だ(前屋毅) - エキスパート - Yahoo!ニュース

ようやく除雪機を片付けた。