杉本五郎「大義」

老眼鏡を買った。「深い河」を読む。

 杉本は1900年の生まれで、陸軍士官学校を出て将校になった。満州事変・日中事変に参加し戦死。「大義」は四人の息子に向けて書いたもので、死後(1938年)発表され、130万部の大ベストセラーになる。
 彼は禅の修行をして無の思想に至る。軍人として死を見つめ「軍隊には『私』がいらない」という考えに至る。本来のアニミズム的な神道を離れ、軍人として平然と死ねるための思想を練り上げていく。

天皇は絶対にいましまし、自己は無なりの自覚に到らしむるもの、諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に宇宙悉く天皇の顕現にして・・・
森羅万象天皇の御姿ならざるはなく、垣根のすだく虫の音も、そよと吹く春の小風もみな天皇の顕現ならざるなし。
・・・宇宙一神、最高の真理具現者天皇を仰信せよ。天皇の御前には自己は無なり。君民一如の自己尊きにあらず。自己に体現せられたる天皇の尊きなり。
天皇は国家のためのものにあらず、国家は天皇のためにあり。唯々身心を捨て果てて、更に何物をも望むことなく、只管に天皇に帰一せよ。

武士道には恥があるからまだ「私」がある。
禅を通じて天皇主義に行きつく。日常の全てが皇作、皇業であると。
また、近代の「私」を追求する事への痛烈なアンチテーゼである。

これに対してニコライは、学生が「教会では天皇よりも神を上にしているので退学する」と述べたことに対して「天皇の方が神よりも上だという考えは危うい」と述べている。
また、この本は昭和19年頃の中学生の間で熱狂的に読まれていた。読書サークルができ、他校と連絡を取り合い、大義研究会が組織された。そして、横暴な教師や将校に反抗したり吊るしあげたりした。彼ら将校や教師がこの「無私の精神」ではなく私利私欲で生徒たちに暴力やハラスメントをしていたからだ。
そして、杉本自身、軍隊の中にこの「無私の精神」が無く、現地の人を苦しめ好き放題をしていると批判している。

明治維新で王政復古をし、この列島を天皇の土地・民・天皇の家来とデザインした。
森有礼は科学のベースにあるキリスト教に代わる国家神道を導入した。
しかし、近代化は本音と建前を分けていたが、昭和のこの時代になると一神教としての国家神道になってしまう。

吉本隆明城山三郎などこの本に大きな影響を受けたという。