「愛国と信仰の構造」を読んで

中島岳志島薗進対談の「愛国と信仰の構造」を読んだ。

 
面白かった。
宗教と全体主義との関連がわかり易く説明してあった。
 
この本が書かれたのは、
明治維新からの75年」と「敗戦からの75年」の構造がとても似ているということからの危機感から。
対比してみる。

明治維新から75年】  【敗戦からの75年】
  富国強兵         戦後復興
  日露戦争         高度経済成長
  アジアの一等国     ジャパン・アズ・ナンバーワン
  第一次大戦景気     バブル景気
  戦後恐慌         バブル崩壊の影響の深刻化
  昭和維新運動      (      )
  全体主義         (      )

「一君万民ナショナリズム」→国体論→第二の維新(士族の反乱)→自由民権運動
 
という流れの中で、自由民権運動の中に右翼思想を生み出す源流があったという。
基本的には、明治維新の持っている二面性(王政復古=国家主義国民主権)による。
 
さて、宗教と全体主義のつながりだが、
北一輝石原莞爾が「日蓮主義」の影響を受けていたことは知っていた。
が、「親鸞主義」の三井甲之や蓑田胸喜のことは知らなかった。
二人とも国家主義者であり、天皇機関説立憲主義)を批判・弾圧(言論弾圧)した。
そのよって立つ理屈(原理日本の思想)が、
自力の否定→絶対他力→弥陀の本願力→日本意志→大御心であったという。
 
なぜそうなったのかというと、
坂の上の雲」で有名な秋山真之を例にとると、
日露戦争後、坂の上を昇りつめた若い心は、
その先にあった雲の中で行く先が見えなくなり、
自己のよって立つところを宗教に求めた。
彼は実際に大本教の熱心な信者になってゆく。
そういう青年の煩悶がより大きな拠り所として求めたものと国体が一致してしまった。
それが、昭和維新運動や全体主義への原動力であったという。

とても大雑把に書いてしまったが、この状況は現代にも通じている。
「日本」というより大きなものに寄りかかって自己を保とうとする心性は理解できる。

さて、ではどうしたら良いのか
ここが大切なのだ。
今まで私が求めてきたものなのだ。