郡上一揆めぐり

郡上一揆の会の「一揆めぐり」に参加した。
9時半に八幡町を出発高鷲白鳥をめぐり帰ってきたのが4時半。
 
鹿(しし)小屋あとの見学と披露式、向鷲見村五郎作の墓、生家跡、山川弘至記念館、
長滝白山文化博物館、二日町伝兵衛の墓を巡り、
途中の説明もあってとても盛りだくさんだった。
 
 
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一揆の会と市の方で、たくさんの説明板を立てられ案内がされてある。
これはやまびこロードの林道に建ててある。
 
途中一宮から参加された方に聞いたのだが、
江戸時代に領主を変えさせたのは郡上藩の一揆だけ。
でも、首謀者は獄門や死罪になっている。
嘉永南部藩三閉伊一揆仙台藩に越訴して、藩と藩との政治交渉にして
確約をとり、首謀者も処罰されることなく成功している。
飛騨の二回目の大原騒動も同じだ。
でも、それぞれの一揆はそれまでの一揆の多大な犠牲があって
それを踏まえて、智慧が出てきてさまざまな作戦を取っている。
 
また、山川弘至記念館の説明は
に写真も詳しく載っている。
 
棟方志功の釈迦十大弟子の絵が、摩訶迦葉普賢菩薩であることがわかったことは
嬉しかった。
 
弘至さんと京子さんご夫妻は三日しか一緒に生活したことは無かったという。
台湾から出された手紙が唯一のつながりだったと思われる。
終戦の四日前に戦死。享年28歳
お二人の歌碑が仲良く裏山に建っているのを拝見できた。
 
弘至さんの遺品を見いるご両親の姿が心を打つ。
 
白山文化博物館での連判状を見ていると、新たな疑問が出てくる。
時間があったら一度詳しく調べたいものである。
連判状に出ていない五ヵ村のことである。