城丸章夫さんの「やさしい教育学上」

この本を注文しようと思ったら絶版。
1978年の出版だが、古本が2万円になっていた。
図書館で借りたが、それだけの値打のある本だと思った。
 
最初に、教育学の定義が書いている。
「教育学」を「教育政策学」と「教育実践」の二つににわけ、
教育政策のあり方を明確に示している。
 
「政治は人を動かそうとするものであり、
人をその気にさせようとするもの、
そして、教育もまた、人を動かしその気にさせるもの。」
 
「教育は政治の手段であり、他の手段でもっておこなう政治である」
 
「政権が変わるたびに教育の方針が違ったら混乱する。
だから、多数決の原理は教育にはあてはめることはできず、
すべての人の合意によってのみおこなわれなければならない」
 
「教育という事実そのものが、
人間の思想の形成を重大な内実とする仕事だということであり、
教育の結果として、さまざまな価値判断ができるように
人間を準備する仕事」
 
「知識は思想に対しては重要な要素となる。
しかしそれは、家に対する建築材のようなもの。
材料は材料にとどまる。
それは、思想というものが、
結局は当人がつくりあげていくものだから」
 
「指導は人間の内面に属することですから、
思想の権力統制は、原論や表現の統制から行動の規制へと進み、
それでも内面について信用ができないから、
権力的威圧を無限に信仰させることになるのです」
 
「学校は子どもたちに思想という家を作るための材料を用意すべきだけど、
作ること自体は子どもの自由にゆだねねばならない」
 
「学校は子どもたちに思想の自由な形成を保障しつつ、
彼らを民主主義者として育てる」
 
「民主主義を一つの出来上がった思想体系ととらえるのではなく、
民主主義をめざす多様な思想のそれぞれに貫徹すべき若干の
基本原則であるととらえるべき」
 
「民主主義とは、人権の尊重と人民主権という二つの原理。
圧迫・搾取・貧困・病苦等によって人間が苦しむことがないように努め
人権の尊重に立った人間相互の交わりを生み出すこと。
民主主義を擁護・発展させることを個人ならびに集団の生き方や
行動の原則とすること」
 
書き出すときりがないが、最後に勇気を与える言葉を。
 
「教育政策は、教育実践に移行しなければなりません。
しかし、この移行はストレートなものではなくて、
よい政策の下での悪い教育実践がいくらでも発生しえます。
逆に、悪い教育政策の下でもよい教育実践が
多くの犠牲を払いながらも存在してきました。
したがって、教育政策レベルと教育実践レベルを区別することは、
理論的にも実践的にも必要なことです」