言葉を共有するために学校に行く

 切り取った新聞記事を整理していたら、25年前の大江健三郎さんの講演の記事が目に留まった。子どもの頃、大江さんも不登校になった。そして気づいたのが「言葉を共有するために学校へ行く」ということ。不思議な言葉だ。

 

            「知」をめぐる私の意見
                       大江健三郎

 子どもはなぜ学校に行かねばならないか、という話から始めたいと思います。

 戦後「鬼畜米英」から「生きるのに重要なのは『ハロー』」へと、先生方が急変しました。それが嫌で学校へ行かなくなったのです。そして植物図鑑を手に森に通いました。雨の日、森で眠り込み、肺炎になった。熱が引いた日、「僕、死ぬの?」と母に聞くと「大丈夫。また生んであげる」といわれました。「そして生まれた子に、あなたが見たこと、したことを全部話す。あなたが話した言葉も教える。だから新しいあなたと古いあなたは同じ」と。私はなんとなく学校に行くようになりました。

 このつながりを説明するのは難しいのですが、僕たちは大人になれずに死んだ子の生まれ変わりだと感じたのです。その証拠に同じ言葉を受け継いで話している。一人で図鑑を見ていても死んだ子の代わりになれないから、学校でみんなと勉強したり遊んだりするのだと思いました。

 それから30年たって自分の子を養護学校に入れる時、言葉が話せない子を通わせてどんな効果があるか疑いました。ところが息子は、友だちの役に立つ幸せを味わった。卒業の日、「明日から学校はありません」という先生の言葉に息子と友だちは「不思議だなあ」「不思議だねえ」と言い合って握手をしました。

 その後、子どもは言葉で伝えられないものを音楽で伝えられるようになった。きっかけは家庭ですが、それを確実にしたのは学校です。友だちと一緒にいることで自分の言葉を発見した。私が三十年近く前に学んだことを息子も学んだ。いつの時代も、言葉を共有するために学校にいくのではないでしょうか。
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「僕たちは大人になれずに死んだ子の生まれ変わりだと感じたのです」
という言葉にも共感する。確かにそうだなあと感じる。

これは「学校は子どもにとってなぜ必要なのか」という問いへの一つの答えだと思う。


このことが書いてある本は『「自分の木」の下で』ということを「理想的本箱」で初めて知った。