紙トンボと子ども

車庫で仕事をしていたら、学校帰りの小学1年生が来た。
いつも置いている紙トンボをあげて、飛ばし方を教えた。
前にとばす方法や上に上げる方法など少しやった。
帰る時に、紙トンボを置いていった子が一人いた。
「いらないの?」と聞くと「いらない」という。
これは初めてのことだったので、少し驚いた。

これくらいの遊びでは興味をひかないのか
とばし方がうまくいかなかったのか
ゲームの方が面白いのか
今の子は、こういう身体を使った遊びができないのか

いろいろな思いが廻った...
そのうち、ある考えにたどりついた。
それは、これも与えたものではないかということだ。
すると朝日新聞のコラムに鷲田さんが書いていた。
柳田國男の言葉
「『児童に遊戯を考案して与えるということは、昔の親たちはまるでしなかったようである。』
年上の子が年下の子の世話をやく、ここに小児の自治があり、自分たちで遊びを考案したし、
古い遊戯法もおのずと伝わった。
大人も遠からず彼らにやらせることだからと、仕事ぶりも遊びに興じている姿も分け隔てなくてなく見せていた。
与えるのではなく見せるという形で子どもたちが勝手に育つのを待った。」

先輩が紙トンボで楽しそうに遊んでいる姿があってこそだったのだ。
与えただけでは、ゲーム機を与えるのと変わらない。