キサー・ゴータミーの話である。
始めて聞いた時からこの話は心に残り、折に触れて思いだした。
そしてそのたびにいろいろ考えた。
この釈尊が語ったことは嘘なのか
キサー・ゴータミーの悲しみはどのように癒されたのか
キサー・ゴータミーにとって子どもはただ一人の子である。
他の何者にも代えがたい唯一人の子である。
他の子とは同じように考えられない私の子である。
この、誰にも代えられない我が子の死をどのように受けとることができるのか。
キサー・ゴータミーが家々をまわったとき
事情を聴いた家人が語った言葉が
同じ子どもを亡くした母の言葉ではなかったか
それが、彼女を癒したのではなかったか
そんなことを涙を浮かべながら想像する。
だから、釈尊の言葉は、決して嘘ではなかったのだと。