プチ法話会 自力の念仏は不可能

今年最後の法話会。
忙しい時期なのに6名の参加。
シニアクラブやいきいき教室や老人会で法話を依頼されることが多くなったということから話を始める。

政治と宗教の話は普段の会話の中では避けられる傾向がある。
でも、老人たちは健康体操よりも「どう生きるのか」とか「人生の意味は何か」ということを知りたいと思っているようなのだ。

その後、葬儀のあり方の話になり、葬儀の時に通夜の法話を聞きたいか、早く終わって欲しいかどちらだろうという話になった。
それは、葬儀の商品化の問題なのだ。

最後に、他力の念仏と自力の念仏の話題が出て、念仏を癖にするためにはどうしたら良いかという話で、例えば一万回念仏を称えようとしてもできないが、それは自力ではそもそも不可能ではないかという話も出た。
試しに自力の念仏をやってみるとそれが良くわかる。
つまり、自分で自分の為に称えるという自力の念仏はそもそもが不可能なのだ。