「わかる」ためのものさし

わたしたちは現在、「わかっている」という言葉で、そもそも何を言おうとしているのかという問いに、何らかの答えをもっているだろうか。いかなる答えも、もっていない。だからこそ「わかることの意味への問いを、新たに設定する必要がある。

これはハイデガーの「存在している」に「わかっている」、「存在」に「わかること」を代入したもの。
「数学の人間化」を考えていたら、「わかることの構造」にたどり着いてしまった。
これは「物語の一般的な構造」とは何かと問うくらい無謀な試みだけど、今までずっと取り組んできたことだから、最後っ屁のつもりで書いてみようと思う。

結論を先に言うと、「わかる」構造と「知恵」の構造と「知恵の回り道」はよく似ているということだ。

  [現象・問題] ①⇨ [モデル・スキーマ・具体物・式・図・ことば
       ↓        ②⇩ 計算・操作・発見・拡張
   [わかった] ⇦③ [モデルの解・類推・シュミレーション

まとめると
   [問題]  ⇨ [モデル
      ↓        ⇩
  [わかった] ⇦ [類推できる

この図はめちゃくちゃ応用範囲が広い。
赤ちゃんの回り道、サルのエサ取り、カラスのエサ取り、山の木の数、ゾウの重さ、推計、方程式を解く、応用問題、アナロジーガロア理論圏論・・・

日々の生活の中でこれを無意識のうちにやっている。
里芋を掘るために鍬を持っていくなど。
では、この図は何か役に立つのだろうか。
こういうメタ認知を持っていれば、自分がわからないことに出くわしたとき、解決のための方向性や自分が今どこにいるのか①~③がわかり、それぞれで取組むことも明確になる。

ちなみに
①は、置き換える・対応を見つける・例えば・結びつきの発見など
③は、応用・具体に当てはめる・そもそも~と考えるなど

それぞれにスキルがあり、これらを「働きかけ」という。
そしてこの図そのものもまたモデルになる。

「構造よみ」再考 | 「読み」の授業研究会(読み研)

モデルについて