認識の仕方としての圏論の応用

今イチジクの収穫が最盛期。
いつもはヒヨドリたちにつつかれて、ほんの少しの御こぼれだけをいただくだけだけど、今年は少し色づいたイチジクを袋で覆うことにした。
すると、鳥たちには食べられないようなので無事収穫できる。
今までで一番多い収穫と喜んでいる。

さて、私にとって「圏論の応用」とは図にすること。
圏論は私にとってモノゴトを理解するための強力なアイテムだ。
だからこの道具(技術)を使うことで、「数学嫌いはなぜ生まれるのか」という問題を解くことができると思っている。

数学を圏論で考えてみる。
数学的能力とか数学そのものを対象にできる。
その場合、数学は特別のものではないということがわかってくる。

数学と文学は差異がない。
とすると、あえて数学を学ぶ意義は何だろうかと考える。
それを少しまとめてみた。

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次の図は前に載せたけど、あれから書き込んでいる。
圏論を認識の図として利用する試みだ。

圏論は矢印を使った図」という程度の理解が一番使えるような気がする。

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 あと、他の教科と数学の特徴をどう強調するのかという課題が残っている。
その特徴とは、エウレカ体験ができやすい教科ということ。

 まとめると

(1)体系的思考(抽象化と具体化、法則と応用)

(2)エウレカ体験

(3)モデル化(アナロジー、モノゴトの認識の仕方)

 

 ベイトソンの合理的な神秘主義