囲炉裏のそばで生まれて、囲炉裏のそばで死んでいく

病院で、私の場合にはアスピリンを飲まない選択肢は無いと言われ、飲むことになった。血液をサラサラにすることで弁をできるだけ長持ちさせようというのだ。

帰ってきてすぐに恩師の通夜に行った。
お顔を見たらいつもの様に「ようきたな」と声をかけてくださった。

師は病気になり、ほとんど身体を動かせない状態から、リハビリに取り組んだ。
並みの取り組み方ではなかったという。
そうして、ようやく身体を動かせるようになった。
不自由な体であったけど、車でどこでも出かけて行って同じように活動し、
大いに飲み合い大いに語りあった。
そのお姿そのものが私たちへの大きな励ましとなっていた。

中国の山の民べマ族の唄を一年前にTVで知った。ふと思い出したのでブログのどこかにあるはずと思って探したけどなかった。書いたと思い込んでいただけだろう。

美しい山河
我らはお借りする

人生は来世への旅路
草木の命と同じで儚い

美しい山河は
我らのものにあらず

我らはどこから来て
どこへ向かうのか

悲しい世を生きてきた
万物は我らのものにあらず

我らはこの世の客人
いつの日かここを去る

はじまりの場所にかえるだけ

 中国の観光資本主義の大波にさらされている彼らが、自分たち民族の伝統文化を守ろうと、子どもたちに伝えている姿が印象的だった。
その波は大きすぎて呑み込まれてしまうことを嘆きながら。
そして、「我らは囲炉裏のそばで生まれて、囲炉裏のそばで死んでいくだけ」と語る。
それを聞きながら、「我らは雪の中で生まれ雪の中で死んでいくだけ」と思った。