五七調と七五調

五七調と七五調について調べていて、勘違いしていたことに気がついた。
私は文字数が5・7となっているか7・5となっているかで分かれていると思っていた。
そうではなく、短歌ならどこで区切るのかで分かれるという。
 
 春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 (新古今)
 春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山 (万葉)
 
この句を、575・77と区切って読んでいた。
しかし、意味からすると57・577と区切るのが自然だ。
白妙は衣にかかっている。
 
 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (新古今)
 田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪はふりける (万葉)
 
この歌は、新古今の方は、57・577
万葉の方は、575・77
と区切ることができそうだ。
 
この「句切れ」によって57調か75調かを分けるらしい。
57・577を57調、575・77を75調。
私は百人一首で575・77と読む癖がついていて、短歌は75調だと思い込んでいたのだ。
短歌を読むときにどこに句切れがあるのかを気をつけながら読むことにしよう。
 
万葉の長歌は57調だが、古今になってくると575・77と句切るのが多くなってくるらしい。
 
 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (古今)
 月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど (古今)
 
57・57・7
5・75・77
と句切ることができるのだろうか。
 
私にとって、阿倍仲麻呂の歌は57・577と句切って読むということが新発見であった。
短歌や俳句を、「序破急」で意味を探り、それをオリガミ六角形で絵にするという試みは、
句切れまで行きついてしまった。