運動会が迫っているので、自分で決めて登校したらしい。
よく行ったものだと思う。
というわけで、大人だけの「ほっと寺ス」となった。
大人3人の「ほっと」になるだろうか心配した。
初参加の人もいて、自己紹介やらいろいろな話から始まった。
それにしてもこの蒸し暑い中、喋りまくった。
外では稲刈りをしている。雨が降らなければいいのだけど。
前回参加できなかった人の為に「回り道の法則」の話から
その応用と知恵の話へと進んだら、今度は自分の体験談がいろいろ出てきた。
それが実に豊かで聞いていて飽きない。
辛かったことも意味がある。
実は「心の時代」でフランクルの特集をまとめてやっていて、ここ三晩ほど何時間もかけ何回も見たので、「ロゴセラピー=意味を探る生き方」と捉えるようになっていた。
(この番組で、フランクルはフロイドと文通をして、アドラーの代わりに講演をしていたことを初めて知った)
私の周りに起きる出来事の意味は何だろうか
悩むことと意味を探ることはどう違うのか
意味を探ることは人生に何をもたらすのだろうか
意味を受け取るアンテナの感度を上げるにはどうしたら良いのだろうか
フランクルはアウシュビッツから生還してから母や妻の死を知って打ちのめされるが、それはどうやって乗り越えられたのだろうか
「他者」へのまなざしと「自己」へのまなざしの違いとは
・・・
色々な語り合いをした。
個人的な問題もあるので書けないけど、一つだけ。
『ひい婆さんがいつもアサリを煮る時に「なまんだぶ・なまんだぶ」と言っていた。だから料理の時に私も「なまんだぶ・なまんだぶ」と言うようになった』
念仏は意味へのリマインダーであると同時に感度の良いアンテナである。