「功徳」について

仏教用語に「功徳」という言葉がある。
 
先日、仏教用語が難しいので、簡単な解説を作ってくれないかと法友に頼まれた。
簡単にすることほど難しいことはないので躊躇している。
でも、この「功徳」だけはしっかりと解説する必要があると思っている。
 
釈尊の生涯はこの「功徳」を示すことであった。
亡くなる前に阿難に伝えた言葉も、功徳についてであった。
 
では、「功徳がある」とはどういうことなのか。
また、回向文に「願以此功徳」とあるが、「此の功徳」とは何か。
それは私の疑問であり、解かねばならない問題である。
 
功徳は福徳とも言われる。
福徳は「しあわせ」である。
釈尊はしあわせとは何かを常に示されたのだ。
 
さて徳という字は、ぎょうにん偏+十+目+心と分解される。
十人の目と心でまっすぐな心。
ぎょうにん偏は十字路の左半分。
「まっすぐな心で人生を歩む」という意味だ。
 
徳は「めぐみ」という意味があるから、何か与えられるモノやコトのような気がするが、
これは人生の歩み方を示している。
釈尊の功徳も、こちらに近い。
「しあわせ」とつなげると、「幸せに生きる道」は「まっすぐな心で人生を歩むこと」ということだ。
 
辞典には次のように出ている。
 
サンスクリットのグナguṇaの訳。善い行為には,すぐれた結果を招く力が徳としてそなわっていることをいう。善を積み,あるいは修行の結果,むくいとして得られる果報恵みという意味福徳,利徳,利益神仏の恵みを指し,またすぐれた結果をもたらす能力をもいう。
 
釈尊は行為こそが大事であり、因縁果を常に考えよと説かれたので、
その行為こそが生き方だと言われたのだ。
利益(りやく)は、今では「儲け」だけのように思われるが、
実はこういうことなのだ。
 
功徳に生きること。