この世界で生きることは

ここの所本を何冊も読んでいる。
同時に読むのは、それらが関連しているから。
といっても、部分だけを読んでいるだけだけど。

さらにそれらはかって読んだ本ばかりで、全く読めていなかったことに気づくばかり。
いくつも同時にということは、テーマがあるからだけど、それは「経験」。
このテーマになった経緯はいくつもあるけど、二つだけを上げる。
一つは以前教え子からの電話で糾弾された経験。
もう一つは話し合いで私の言葉で怒られた経験からだ。

これらの経験の意味とは何かを考え出したのだ。
この二つの経験も出会いだと感じたからだ。
その出会いとは何だろうかと考え出したのだ。

で、本を読むことは本を消費することではなく、私たちの〈文化運動〉の中に投げ込んでいくこと。解答を探し出すことではない。
もっと言えば、私が他者と出会うということは、私自身の経験を批判的に見るということであり、より広い世界へと誘うものだから。

そしてそれはより広い世界へと導く。

この世界で生きることは決して無意味なことではなく意味があるという信念・信仰—〈世界〉への「基本的信頼」の核心—をその人間が抱くことができているかどうか、人間はそうした信念・信仰をいったいどこから手にし、自分のなかに育てていけるのか

こういったことはまとめてはいけないことのような気がする。