「映画を早送りで観る人たち」

この頃よく図書館で本を借りるようになった。
その一冊に「映画を早送りで観る人たち」稲田豊史著がある。

この本によると、映画や動画を早送りで再生して見る人がいる。
若い人だと50パーセントを越えるらしい。実は私もやっている。
今までのビデオだと早送りにすると声が不明瞭になったけど、技術の進歩で2倍速にしても声が聞こえるようになった。
でも、映画を早送りで見て作品を味わったことになるのか。
そうせざるを得ない切実さが社会を覆っているという。

タイパやコスパを大事だと思う人たちの心理がわかってくると、タイパやコスパ至上主義を単純に批判できなくなるということがわかってきた。とすると、タイパやコスパが当たり前の時代に「回り道」や「問題」を勧めることは可能なのかという問題が立ち現れてくる。

まずは、タイパやコスパを追求せざるを得ない若者たちの状況を調べてみよう。
ただしこれは若者だけではない。社会全体の傾向なのだという。

①共感強制力と個性の呪縛とタイパ至上主義で育った人たちは「正解」を知りたいと思い、誰もが同意する「正解」しか言えないようになっている。
 だって、失敗したくない・恥をかきたくない・傷つきたくないから。
②「失敗してもいいからまずやってみろ」というのはいじめだという。
 「先に正解を教えてくれればいいじゃないか」と思う。
 失敗したこと自体に大きく傷つくのだ。
 したがって失敗や回り道はタイパが悪いとなる。
③どうやら「キャリア教育」が回り道を閉ざした可能性がある。
 キャリアプランを立てそれを実現していかなければならない。
 回り道などしている暇はない。
 だからすべてを効率化しなきゃいけないと思ってしまう。
 そして、実際に学校や職場でも時短・効率を求め始めた。
④「夢」ですらコスパを求める。
 彼らは「社会への還元とか生産性の向上を考えるべきだ」という思考を強いるような圧力をすごく感じるという。
 自分の学びやスキルや行動が社会のどんな役に立っているのかと。
 そして「その夢はどのように社会に役立ちますか」という声で「夢」すらもコスパを求められる。

こういう社会に生きているのだ。