煩悩についての心理学

午前中セミナーの全体レポート分析に参加。
午後は八幡へ行って予約しておいた「深い河」を図書館で受け取った。
ついでに子ども向け福引図書を借りた。

これまで心理的バイアスが煩悩と結びつき、その自覚が大切であり、それが凡夫の自覚であるということを述べてきた。
だから、「認知的不協和音理論」もその煩悩の一つだと感じる。
予言が外れたり、矛盾を指摘されても信念を捨てない人たちがいるということをこの理論は見事説明している。

では、祖師や善知識たちの葛藤や信心は「認知的不協和音理論」から説明できるのだろうか。そして、「認知的不協和音理論」から信心が生まれるのだろうか。
これは否と言うしかない。

「あのブドウは酸っぱい」というくらいの葛藤では、転生とか転心とか回心とか廻心には至らない、至るはずがない。
身もだえするような苦しみ、生死の中から再生するような矛盾や葛藤を抱えて廻心が起きるのだ。祖師や善知識の葛藤は「認知的不協和音理論」がなしたとは言えない。

これについては今まで祖師や善知識の体験を書いてきた。
それを知る限り、レベルが異なるように思うのである。
このことについては4人目の中島岳志氏の紹介した「深い河」に述べられている。