三つのC(ケアのはたらき)

 この時期は、毎年東海北陸地区セミナーに参加していたのだけど、今年は母たちのこともあり行くのをあきらめていた。ところが、能登で大地震があり、北陸の多くの地域の方々が被災をされ、現地(富山)での開催ができなくなって急遽のオンライン開催になった。被災された方々には申し訳ないけど、これなら参加できると思って申し込んだ。1時半から夜7時までの過密なプログラムだったけど、いずれもとても学べた。

 宗教の続きを書くつもりだったけど変更して、山本敏郎先生から学んだ「ケアの倫理」を書くことにする。

まず、私たちの発達は依存によっていることを図で示された。

この図は自立して終わりではない。
私たちは新しい課題に直面すると再びこの依存関係に入る。
60を過ぎてから古文書を学び始めた時、まさに依存だった。
今も自立と依存を行ったり来たりしている。
だから、この図は常なるサイクルなのだ。
そして、母は晩年になって依存だけになった。
(赤ん坊として生まれ、赤んぼうに戻って死んでいく)

この関係で最も大事なのは依存の部分だということがわかる。
それはどのようになされるのかというのが次の図。

表題の三つのCはここから来ている。
ここからケアの倫理に入るのだけど省略して、これから目指す社会はどんな社会が望まれるのだろうかという問い。

平等と公正は違うことが良くわかる。
「迷惑をかけたくない」というのが母の願いだったけど、
迷惑をかけずに生きている人はいない。
「迷惑をかけたりかけられたり」という関係を「ケアしたりケアされたり」という関係に転換してみるとケアが最も根元的だとわかってくる。
だからケアを核とした社会をつくる。
競争社会ではなく共生共同の社会をつくる。
そもそも利他・贈与・互酬ということばは「ケア」そのものであった。
私たちはそういう中で生きてきたし、復活しなければいけない。

そのためには・・・