「切立明野開拓」と地域食堂

町民センターで長尾幹さんから「高鷲の開拓施策と切立明野開拓の変遷」についてお話を聞いた。

高鷲の三台地の開拓の内、切立明野だけが全戸離農したということを初めて知った。
改めて開拓の厳しさが伝わってきた。

とてもよくわかる資料を頂き、説明で内容もよくわかった。
そもそも戦後の国内の開拓は国策であった。
外地から引き揚げてくる人たち400~300万人を受け入れるため。
岐阜県では各務ヶ原台地、山之上、高鷲など。
高鷲の三台地が適地として候補として挙がった。
明野は赤松林で水源地やキノコ(ドウジ・シメジなど)、薪、建材用、焼き畑農業
三台地の開拓の内、最初の開拓から戸数が増えているのは、鷲見上野だけ。
切立上野は0になり、ひるがのは3分の2になっている。
切立は水田の導水に失敗した。米が食べたいというのは切実な願い。
鷲見上野は地元の次男三男が中心であったことも影響しているかもしれない。
切立上野は自衛隊の演習場の問題が起きたことが大きいけど、それだけ開拓が大変であったことを示していると思う。
それにしても自衛隊の演習場計画をよくぞ断ったものだと思う。

昼食の為に「さんさんハウス」へ寄ったら、小学生たちが大活躍。
今日は寺子屋をやらずに子どもたちはこちらで全力投球。
小学校の校長先生が先生方と食べにみえていて、初めてお会いし、いろいろ話した。
学校へも来てくださいと言われて嬉しかった。